opensesame_mamaslife’s blog

アルバイト保育士しながら子育て中。三人娘に、長男坊の旦那を育てるおかんです。自分の頭の中と心の中を書いていきます!

父の病気が見つかった時。食道癌放射線治療の副作用。

父の病気が見つかったのは、
5年半ほど前、私の結婚が決まった時でした。

食道がん

それを聞いたとき、
母は泣きました。
私も泣きました。

それまで、“死”とか、“癌”とか
そんなものとは程遠い人生を
生きていたので。

知らないことに対して、人間って
ものすごく恐怖を感じますよね。

何も知識のない私にとって、
癌という病気は、死とイコールになっていて、

いやだっ!!
お父さんとヴァージンロードを歩きたい!!
孫の顔も見せたいし、
もっと自分の人生を楽しんでほしい。
そんな思いでいっぱいでした。

病院には必ず誰かがついていきました。

詳しい検査の結果は
《超初期》
との事。

「なんや~」
みんなほっとして笑いあうくらい。

放射線治療抗がん剤治療が始まりました。
お正月明けからの入院でした。

超初期の治療ということで安心していた
部分もあったのですが、
実際の治療はとてもしんどいものと
なりました。

何せ食道がん
放射線の後半なると、
食道が焼け、
ご飯を飲み込むのも痛く、
しまいには、薬や水分すらも
激痛となり、見ている方も
辛い時間でした。

治療が終わり、退院後も飲み込めない
物が増えたり、よく食べ物を喉につめたり。
後遺症はひどく、父はやせ細っていきました。

そんな状態の中、
再度入院することになり、
私は毎日病院に通いました。

私たち家族の目標は、
私の結婚式にでること。

病院の先生にもその願いは伝えてありました。

結婚式当日、
みんなに協力してもらい、
何とか病院から式場に来てくれた父。

でも、薬の加減で
正常な状態でなく。。
お医者様も何かあったら
救急車で帰ってきてください。と。

結局、義姉の付き添いのもと、
病院へ。

念願のヴァージンロードは
兄と歩きました。

病院に戻ると
状態はよくなり、
短い新婚旅行を終えて
日本に戻ると、
父は驚くほど元気になり、
少しずつですが固形物も
食べられるようになっていました。

式の当日は、薬の加減で
状態が最悪になっていました。
父の中でも、どうしても私の結婚式に
出ないといけない。という
プレッシャーも大きかったと思います。

思ってもみなかった結婚式から一年。
結婚式場から一年のお祝いにと届いた
招待状を持って、父、母、旦那と4人で
式場へ。

全てを知っているプランナーさんは、
元気になった父を見て喜んでくれました。

あの日の父を見た人は
誰もがもう、長く生きないだろう
と思ったはずですから。

そして、ヴァージンロードを
歩かせてくれました。


私にとってとても大切な思い出です。

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