opensesame_mamaslife’s blog

アルバイト保育士しながら子育て中。三人娘に、長男坊の旦那を育てるおかんです。自分の頭の中と心の中を書いていきます!

父のこと。

父はとても厳しい人でした。

父はとても面白い人でした。

父はとても真面目な人でした。

父はとても人が好きでした。

父はとてもお酒が好きでした。

父はとても大きな声で笑いました。

父はとても家族を大切にしてくれました。


小さい頃の私には、父はとても怖い人でした。
母は三人目の私を父に怒らせないように
していたようですが、
父が怒ると怖い。
ということは私も分かっていて…
それでもアホな私はよく怒らせていましたが。。


よく覚えているのは、片づけなかった
ランドセルを窓から投げられたこと。


思い出せる範囲で思い出すと、
父に叱られたこと、
父が怒ったことは
「そら、怒られる」と思うことで、
子どもを持った今、
父が怒った意味や思いも理解できます。


怒るばかりではなく、
父はいろんなところに遊びに連れて行って
くれました。
車の後ろのシートを倒して兄弟三人で
ワイワイギャァーギャァー言いながら
過ごす時間が大好きでした。



思春期になるころ、
私が悪さをして、何度か学校に
呼び出された時、
父は一言も喋りませんでした。
何も聞きませんでした。


私にとってそれは
なによりも恐ろしく、悲しい時間でしたが、
その時間に、何がいけなかったのか、
どうするべきなのか…と考えました。


父が後で言ったのは、
「子どもなんか何をするのか
 信用なんて出来ない。
 20歳になったら、自分の責任や。」


きっとそれまでは、親が責任をとるけど、
20歳になるころには、良いことと悪いことの
区別はつけられるようになれ。
ということだったと思います。


あまりにも呼び出しが続いた時には、
「お母さんの事、ちょっと考えたりや」
と一言だけ言われました。


自分の責任になったのもつかの間
22歳のころ、私が事故を起こしてしまいました。

父は相手の家に言って、何を言われても
ただ黙って頭を下げてくれました。
穏便に事が運ぶように。


その時、私はこうして父にずっと
守られてきたんだな。
と申し訳ない気持ちと同時に
親の偉大さや、子どもへの深い愛情を
改めて思い知りました。



父は愛情深い人でした。

父は平等に人と接する人でした。

父は愚痴を言いませんでした。

父はただ黙って、見守ってくれました。

父は兄弟仲良く生きていくことを願っていました。

父は生きる力が尽きそうな時に、

「優しい子どもが三人もいて幸せや」

「人生で何も残されへんかったけど、
 子育てだけは全力でした。」

と言いました。


私は父が大好きでした。

父と母の子どもに生まれて幸せでした。


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